- 前回までのあらすじ - (声の出演:大滝秀治)
東京は西部。時は20世紀も終焉を迎える頃。あたくしと友人Mは戦後から脈々と続く友人M家の伝統行事「新年! 輝けM家、大かくし芸大会」へのエントリーが
決まった。一族の誇り。そして「漢(オトーコ)」の誇りをかけて磨きあう芸。20代の若造二人には、一族の伝統が重くのしかかる。ある者はモノマネで声を潰し、ある者は紙芸(歌いながら絵を切り出す、あれ)で我が身を切る。「あたくしたちも負けてられないぜ!」中韓口論対決という難易度ウルトラDの芸を仕込んだあたくしたち。練習も仕上げに差し掛かった夜、あたくしたちを襲ったものは...。
多少の誇張はありやすが、そんなあらすじでしたな。お馬鹿犬、コロの頭をなでているあたくしに聞こえた、友人Mの絶叫。
「あぎゃぁをぅぅうわぁぁ!なんだ、なんだおまえ!」
あたくしは、思った。韓国語訛りの日本語としてはあまりにヘタクソすぎる。まだまだあたくしたちに残された課題は多いな...
「つ。!つ。!おい、ちょっと、つ。!」
ちょいと様子がおかしげである。バタバタドタドタ。いかにも慌てていることをアッピールするかのような、コントの如き足音が近付くと同時に、立付けがあまーりよろしくないガラスのドアが開いた。
友人M: 「おい!おい!ちょっとちょっと!。いま、イマ、IMA...」
あたくし: 「おちつけおちつけ。なんだよ。夜中に大声出してよ。」
友人M: 「いま、そこにさ。フスマ開けたとこにさ、知らないおばさんがいたんだよ!」
あたくし:「知らないおばさんって、あんた...。え?Mのオンナ?あんた、フケ専?」
友人M: 「何言ってんだよっ!知らないおばさんって言ったろ!ともかく来てくれ。ちょっと見てくれ。」
あたくし:「えー。靴紐また結ぶの、面倒だもん。土足でいい?」
友人M: 「それはだめ」
勢いとは違う、落ち着いた拒絶をちょーだいしたあたくしは、しぶしぶ硬めに結んだ靴を脱ぐ。2つ目の扉を開く。まっすぐに立ち上る煙。友人Mのマルボロが煙るだけの部屋。なーにも変化なし。
あたくし:「なーにがあんのさ。なーにがいるのさ。え?」
友人M: 「そこ、ガラってあけてさ。おばさんが出てきてさ!」
軽いパニックを起こしている友人M。フスマの向こうにも、なにもない。いない。畳と仏壇(専蔵。友人Mの祖父。)があるだけである。あ、あと多分友人Mの御母堂、タラチネの母、ミツコのものと思われるストッキングがぶら下がっている。
あたくし:「で、なーに?なんなのさ。」
友人M: 「いや、ホント、ここガラってあけて、おばさんが出てきて...」
あたくし:「出てきて?」
友人M: 「こう、高島忠夫みたいに親指立ててさ...」
あたくし: 「高島って、あんた、なつかしーな。親指?は?親指立てて、何よ?」
友人M: 「目があったら、一言。『カマーン!』って言ったんだよ!」
あたくし:「...それなぁに?ネタ?それ、オチはどこよ?」
友人M: 「ネタじゃないっ!あれ、幽霊かなにかだよっ!」
あたくし:「幽霊がなんで親指立てて、アメリカンなポーズでカマーンなんて言うんだよっ!そんな和洋折衷、ないだろ、フツー。」
友人M: 「幽霊に意味なんかあんのかよ。大体俺にそんなことわかるわけないじゃん!」
あたくし: 「幽霊とくりゃぁ、恨んでるとか、未練とかだろ。フツー。なんで『カマーン!』なんてアメリカンな誘い文句を言うんだよ。」
友人M: 「わかんねぇよ。わかんねぇよぉ...。俺に、気があったのカモシレナイ。」
あたくし:「あんた、ぱかだね。かなーり、ぱかたよ。ぱか。」

友人Mによれば、あたくしが出て行く音を聞きながら、マルボロに火をつけると、突然フスマが開いた、と。そんでもって、浦辺粂子似の女性が親指を立ててニヤリと笑い、「カマーン!」とのたもうた、と。もちろんそんな人はどこ探してもいない。そもそも、浦辺粂子はおばさんじゃなく、おばあさん、ではないのか、とあたくし。あれがおばさんに見える、ってのは、かなりスコープの広い女性像をお持ちでらっしゃる。この事件以来、フケ専の誉れ高き友人M。
結局、その後正月恒例の初日の出ドライブ中に高熱を出した友人Mのために、あたくしたちの血と汗と涙の結晶である中韓口論対決は陽の目を見ずにお蔵入りとなった。
満足におせちも食せなかった友人Mは、そろそろ松の内が明けようかって頃に「ラーメン食お。ラーメン。」とあたしくしを誘い出す。夜中のラーメンは、とび職で鍛え上げた肉体をも蝕む。わかっていても一路横浜方面へ走る「漢(オトーコ)」たち。たとえこの身が滅びても、なんて大げさな話ではないまでも、30代になると出てくる暴飲暴食のツケをまだ支払うことのなき売掛金のままにした20代。こうして漢(オトーコ)のドライブは続く。
中原街道を一路、茅ヶ崎方面へ。そろそろ、横浜上麻生にぶつかろうかという交差点。友人Mはあたくしに「ちょっと火貸してくんない?」と胸のポケットのマルボロを弄っていた。愛用のジッポをズボンの前ポケットから取り出すべく、しなやかな肉体を伸ばすあたくし。ぽとり。友人Mがくわえていたマルボロが落下した音。その刹那、
友人M: 「あぎゃぁをぅぅうわぁぁ!そこに、そこに、ソコニ、SOKONI !」
あたくし: 「なんだ、なんだよ。大声出すなっての。夜中ですぜ。あんた。」
友人M: 「カマーンおばさんがいた!」
ひとまずは大声に驚いたあたくしだが、カマーンおばさん、と友人Mがひそかに名付けていたことに、むしろ衝撃と狼狽を覚える。ダチじゃないんだからさ。ニックネームいらんでしょ、あんた。
こうして友人Mが壊れていったよ、どこまでも。
やがて会社を辞めて実家を継いだ今、「あれ以来、カマーンおばさんには会ってない」とのたまう友人M。独り者を通し、家族にはゲイではないかとの噂まで立てられている由緒正しき跡継ぎ息子は、カマーンの声の裏側に理想の女性像を見つけたに違いない。タラチネの母、ミツコに「いや、あたくしの知る限り、お宅の御子息はゲイじゃないですよ。フケ専なだけですよ。」と言って寝込ませてしまったのは、ちょいとほろ苦い後日談である。
さて、本題。

Gratitude / Earth Wind & Fire
車のCFだのテレビのBGMだの、はたまたオヂサン向けディスコナイツでは超常連&定番のアースウィンド&ファイア(EWF)。あえて解説の必要もないですな。あたくしよりも歳の上の方々に怒られちまいそうです。なので、個人的なインプレってことで。
まず、このアルバムは飽きない。もう何年聴いてるだろ、ってなぐらい。最初に手に入れたのがLPのテープダビングの頃。2枚組みで、方やライブ、方やスタジオテイク、ってなものでしたな。小生意気なガキだったあたくしは、中学生だってのに赤坂「ム○ン」に友達の兄貴に連れてって貰ってやした。もう、この手のR&B、Funkが好きで好きでしょーがないのに、金はないからアルバムなんか変えないし、何から買ったら良いのかもわからん、って頃。ちなみにその兄貴は大学生だったんでやんすが、突如体中にハーモニカをいっぱいくっつけて(特注のベルトらしい)、失踪してしまいます。アメリカの南部にいるというエアメールが来て、その後音信不通。生きてるのか?おい。ま、その兄貴が音楽通で、あたくしを魔の道へと誘った、ということになりやすが。
ブギ・ワンダーランドみたいな「売れ売れディスコ系」がよくかかるもんで、「お年玉でLP買うなら、EWFが良いよな」なんて言ってたらテープをくれたのがこのアルバム。イントロのインストナンバーから徐々に盛り上げてって4曲目の「Devotion」で泣かす。「Devotion」のイントロのブラスが流れると、オーディエンスの泣き叫んばかりの歓声が被るんでやんすが、これ、気持ちわかるなー。イントロ流れて「あ、あの曲やってくれるんだぁ。」って思って、イントロなのに泣いちまう。あったよあったよ。そんなこと。うん。うん。Swingout Sisterの時とか、どうしようかと思ったもんな。泣けてきて。
で、EWFって、曲の流れがどのアルバムも上手で、「あ、テープのA面とB面、曲順入れ替えたら60分テープでも入るなー」なんてコスい技はご法度。この曲の流れ自体が、作品性のカタマリなのでやんす。ラムゼイ・ルイスにプレゼントした「Sun Goodness」とか、本家のEWFのライブで聴くと圧巻でやんす。理屈ぬきに腰が浮く、みたいな。
誰もが言うフィリップ・ベイリーのファルセットは圧巻。声が楽器、ってのはまさにこのことで、「スタジオでいじってるからであって、ホントは出ないんだ。」的なデマが、くだらねぇ冗談だってことが間髪いれずにわかります。ゴムまりみたいなアル・マッケイのリズムギターに、R&B、ファンク界のいかりや長介こと、ヴァーダイン・ホワイトのぶっといベース。あんた、そんなに強く引いたら弦がはずれちまうでしょう?ってくらい強いアタック音。
そして、チョーさん。どちらもベーシスト。
病気でもうライブは出来なくなっちまったという(でもまた来日するけどね。宇宙戦艦ヤマトの沖田艦長みたいなもんかな。)モーリス・ホワイトのグルーヴ。あんたがいなかったら、アフロ犬はなかったよ。偉大なアフロ。いっつも胸毛出した服着てさ。ムナもアフロ。
ライブ版、落ち目になった後でベルファーレとかでやったやつとかもAvexから出てるけど、話になりません。黄金のメンバーの、一番良い時のライブ。これを聴かずしてEWFファンとは言えない、と断言出来るアルバムでやんす。ちなみに、スタジオテイクも、小ぶりながら良い曲ぞろい。「Can't Hide Love」とか、ああ、アルバムが終わっていくよぅってな感傷をムンムン出してくれて、本当に一つの作品が始まって、終わっていくよ、っていう流れ。必聴。
先日ご紹介した、友人M家での出来事である。
M家では、毎年恒例の「新年! 大かくし芸大会」が繰り広げられる。地元密着型の製造業を多摩川っぷちで3代も続けてきたM家は、地元ではちょっとした名士のごとき風格である。キューポラのある街なのである。でもそこら辺にヨシナガサユリがいたりするカンジではなく、どちらかと言えばトラ屋裏手のタコ社長が闊歩する佇まいである。
そーだ。落ち着いて考えてみるとMは社長の御曹司だった、別荘もってるとかナンダカンダとか、割と飲み屋でモテそうなパーソナリティの持ち主だった。ま、そんなんだから家もでかい。そこに一族郎党が年始に集合しては、1年間練習に練習を重ねた芸をおせちを前に披露しあう。マチャアキのそれのように録画もない。生放送の本番一発。緊張感で手に汗握る一大スペクタクル。賞品などない。あるのは一族の誇り。そのためだけに、家族は血みどろの闘いを繰り広げるのだ。
毎年、友人Mの父、ヨゥイチの詩吟(ふじっさん、を浪々と歌い上げなさる)で幕が上がるこの催しに、ある年、あたくしはスペゲス(スペシャルゲストの意)として招かれるという目に余る光栄にあずかった。
今年もあと残すところ...的決めゼリフをアナウンサーがおばかの一つ覚えのようにのたまう頃になると、あたくしたち漢(オトーコ)の「技」も仕込は大詰め。ギボアイコの交霊術ネタを仕込んでいたのだが、ギボ氏の思いがけない死去によりこれが頓挫。「まいど、正月から縁起でもねぇ演技をおひとつ」ってなツカミまで考案し、実用新案登録まで考えたものの、涙を呑んで中止となった次第である。
ここであたくしたちは、かつてのとび職時代の経験を活かし(職場に多かったもので)「中国語なまりの日本語」と「韓国語なまりの日本語」による、中韓口論対決なる企画を考案した。
あたくし:「あなた、ぱかねー。」
友人M: 「なにいうのー。ぱか、言う人か、ぱかよー。あなた、ぱか。」
あたくし:「なによー。あなたいま、ぱかぱか3かいいったちゃないのー。あなたのほうが、ぱかよー。」
台本はこんなものである。三谷幸喜も絶賛の力作とは言い難いものの、いく年も残すところ数日の中での急展開であったあたくしたちとしては贅沢は言っちゃられない。毎夜、友人M家ご自慢の通信カラオケ機を用いての練習三昧であった。
あたくしの手には金色のマイク。友人M家では「ヨゥイチ・ゴールド」と呼ばれている、父ヨゥイチ特性のMyマイクが握られている。友人Mの手には「ミツコ・プラチナム」。ヨゥイチの愛妻(つまり友人Mの母である)ミツコ御自慢の、銀色のMyマイクがさん然と輝く。SHUREの良いものをお使いの夫婦。これで毎夜「銀恋」を歌いあげなさる、昭和生まれのバカップルである。
練習も一息、あたくしは近所のコンビニにタバコ(ゴロワーズ)を気取って買いに行くことにしたのだ。
「ちょっと行ってくるけれど、あたくしが居ない間も練習を続けるように」と熱い指示を与え、玄関へと向かった。面倒なひも靴を結び、一歩外に出る。今は亡き、愛想の良いお馬鹿犬、コロの頭をなでていると、夜の街に友人Mの絶叫が轟くのだった。
「あぎゃぁをぅぅうわぁぁ!」
北斗の拳のザコキャラか。こんな響き。
次回に続く。
あ、本題を忘れるところであったよ。
Metal Health / Quiet Riot
はっきり言って、ジャケ買い。アルバム聴いても、2曲目の「Cum on Feel the Noize」聴いたら止めちゃうこと多い。でも、いっつも車載テープだったりするし、iPodにも入ってる。
ヘヴィメタがブーム化した80年代後半に出たアルバムで、なんとなく安っぽいプロモーションヴィデオが毎日流されてて、あんまりにも単純でノリの良いワイルドポップが多くて。でも、カッコいかったんだ。これ。後になってスレイドのカバーだって知って「なぁんだ」って思ったけど、学校サボってビリヤードして遊んでた時、いっつも吊ったテレビでPVが流れてたなー。これ聴くといっつも悪っぽく気取ってたあの頃のイメージが、ふわりと浮かんできやすな。
実際のアルバムは?ってぇと、ほんと、それほどでもない。ケヴィン・ダブロウという業界一の嫌なヤツの声が特徴的なくらいで、単純でおバカなパーティーロック。ギタリストもカルロス・カヴァーゾ(だったよな?この時は。)ってフツウじゃん、って思ってたし。時はヴァン・ヘイレンだのスティーブ・ヴァイだのイングヴェィだのって、凄腕早弾きギタリストが国是(国なのか?)で、早弾きファシズムが西側世界を席巻していた頃。カルロス・カヴァーゾって何よ?誰よ?ってな具合でやんした。それに、ボン・ジョビとか、ちょいと顔の良さげなバンドが売れてたのもこの時期で、前任のランディ・ローズは割と美形で壮絶な演奏を残して飛行機事故で死んじまうという快挙を成し遂げたりしちまいやがったので、あんまりルックスの良くないクワイエット・ライオットにあって、ヒゲの濃さが自慢のカルロス氏は、もっと気の毒。
実は業界一の嫌なヤツ、ケヴィン・ダブロウをクビにしてからも存続していたクワイエット・ライオット。元ラフカットのソウルフル&エッチボーカルのポール・ショーティノを迎えてオトナの音に脱皮をはかりやす。が、オザケンが失敗こいているのからも明らかなように、ガキ向けの音楽やっちゃうと、なかなかアダルトサウンドの実力派には脱皮しにくく。子役は大成しないんだぜ、ケンちゃんってな具合。
![ken[1].jpg](http://www.banlo.com/tsu/archives/ken[1].jpg)
ポール・ショーティノを迎えての「QR」というタイトルのアルバム、本当にカッコいい。単純なパーティロックから、ベタっとしたブルージィ&ソウルフルなサウンドに仕上がってます。カルロス・カヴァーゾは、こういう演奏の方がウマいってのがわかったのはこの頃。ブームも終わりかけたずっとずっと後の話。気持ちを溜め込んで溜め込んで一気に吐き出すようなギターは、忍耐の美学、とでも申しましょうか。その割に、妙なペイントしたギターを弾いてたけどね。実は、才能ある人だったんですな。ただ、ポール・ショーティノがウマすぎた。かっこよすぎた。で、バンドを喰っちゃった。バンドサウンド、全然ちがくなっちゃった。結果的に、このアルバムで一旦終了。やがて食い詰めて再結成(やなヤツだったケヴィンを戻して)するんでやんすが...。
アルバムを出しては売れず、抜けたメンバーの七光りで有名になり、そいつに死なれて伝説になる。でもって、他人の曲でスターになったけど、以後は超ウマいボーカルに乗っ取られ、そしてさっぱり...。
うーん。こう書くと、ろくでもないね。好きなんだけどね。
最近、妹が母になった。
最初の出産は予定なんてあってないようなもんだ、との謂れに従い、2週間近くもの遅刻をぶちかました末のちびっ子であった。だんだんと腹の出ていく妹を見るにつけ、ちびっ子だった妹がママになるのかぁ、と感慨深さにホロリとするあたくし。気持ちは南こうせつの「妹」である。ちなみに、そんなあたくしを見たオフクロは、「あんた、なんであんたがポロリなのよ。アシヤガンノスケの歌じゃあるまいし!」オフクロは2つの過ちを犯したことに気付いておらず、得意満面。
過ちその1:
ポロリ、ではない。ホロリ、である。あたくしのポロリなんて、誰が見ようと言うのか。それに、質感的に、せめてゴロリ位は言っていただきたい、あたくしの漢(オトーコ)心をくすぐるくらいの親心をみせてほしいものだ。
過ちその2:
妹が嫁に言って泣くのは、上記の通り、南こうせつであって、ガンノスケはんではない。あれは「娘よ」である。ガンノスケはん、合掌。
どうでも良いが、太平サブローが真似るガンノスケはんが大好きだったなぁ。平和島温泉で見たサブロー・シローは面白かったな。今はクアハウスになっちまったけど。
で、出産の話に戻ると、生まれる前に妹がこんなことをのたもうた。
いもーと:「ねぇねぇ、兄貴。なんで子どもは生まれてすぐの時は、みんなガッツ石松に似てんだろ?」
あたくし:「は?おさるさんでなく?」
いもーと:「うん。おさるさんには見えない。ガッツ石松に見える。」
あたくし:「えー。そーかなー?」
そうだった。みんな、ガッツ石松に見えるのだ。とすると、新生児室の赤子を前に「おさるさんみたいねぇ」とのたまう家族はオカシイってことになる。「あらまぁ、ガッツ(石松)みたいねぇ。」が正しいのだ。ガッツはむしろゴリラ似のハリウッドスターなので、「あらまぁ、ゴリラみたいねぇ。」ならば許容範囲、ということになるだろうか。やや、演繹的な論法ではあるが。おフランスのパンクな哲学野郎、デカルトも納得の議論である(はずだ)。
で、医者に聞いてみた。「なんでみんなガッツに似てるんですかね?」
医者はのたまう。「似てますかねぇ(笑)。でも、最近の子って、あまりおさるさん顔じゃなくなってますよ。」「へ?なんで?」「なんででしょうねぇ...。」
推測はいろいろできるのだが、あたくしとしてはどうもお腹の中で大きくなっちゃった子ほど、子どもらしい顔して生まれてくるような気がしているのだ。赤子はすべからく、母なる胎内にいるときは、ガッツなのである。神聖なるガッツ。人類の皆ガッツ。みんな、はじめはガッツだった。
そんな妹は、予定日をひらーりと10日過ぎた。もう大きくなってるし、そろそろ何か手を打たないと、なんて話が聞こえ始めたのが予定日から遅れること2週間を過ぎる頃。妹と話すあたくし。
あたくし:「おい。お前、大丈夫なのか?でっかくなると、産む時大変だって言うじゃないか。」
妹@妊婦:「んー。心配だけど、こればっかりはねぇ。でも、苦しい思いしても、ガッツじゃない子が出てくるならソレはソレで良いかな、みたいな。」
あたくし:「何のん気なこと言ってんだよ。」
翌々日の明け方である。義理の弟(あまり好きじゃない)からお電話頂戴して、一路東京北部へと車をぶっ飛ばす馬鹿兄のあたくし。病院によくある滅菌シュッシュで手を消毒し、妹を慰労。「どこに赤子はいるのだ?」「あっちだよ。言えば会わせてくれるよ。」「よし、抱っこしてこようかな。ちゅーは、やめとこう。」
誰似?ねぇねぇ。誰似?なんて話をしながら、新生児室のガラス前に佇むあたくしとオフクロ。ゆっくりと、おごそかに、カーテンが開いていく。ご開帳。
あたくし:「どこだどこだ?」
オフクロ:「あんた、3900もあったんだってんだから、そらでかい子さがしゃいいのよ。」
あたくし:「そんなん、わかんないよ...」
オフクロ:「随分育っちゃってるからねぇ。あ、あれだよ。おまえ。あれだ、あれ。」
あたくし:「!?」
まっさらなシーツの上に横たわる、それはそれは大きな、元気な、玉のようなガッツ。
お腹の中で2週間も余分に育った、待望のガッツ。
長くおなかの中にいればいただけ、人間チックな顔になるはずだった、ガッツ。
「あー。妹似だ」「綺麗な子どもだ」「幸せなことだ」などなど、幾度も練習したあたくしの劇的セリフ郡を吹き飛ばし、あのうるせぃオフクロともども沈黙させた、姪のガッツ。
「あら、ちょいと、ガッツ石松に似てるねぇ。女の子だってのに...」
沈黙を破ったオフクロのコメントに、ちょっぴり顔をしかめて音もなく背後に立っていた義理の弟。あたくしは少しだけ、義理の弟が好きになったのでした。
で、本題。
音楽世界のおかぁちゃん、と言えばこの人。アレサ・フランクリン。ソウルの女王とかDIVAとか、色んな言葉で形容されるお方。もはや説明不要でしょうが、あたくしはアレサといえば「菩薩」です。ぼさつ。もう、母です。この方は。
30枚以上のアルバムと数限りない参加アルバムの中で何をPick Upするかは、あたくしとしても迷うところ。なので、一番最初に聞いたアルバムをご紹介。なぜかAmazonとかみてると、入荷未定のアルバムが多くて、どういうことだ?と思ってしまいやす。本日ご紹介ののアルバムもそう。
プロデューサーにその時の勢いのある人を起用することが多いアレサですが、このアルバムは当時のN.Y.サウンドの旗手、ルーサー・ヴァンドロスとマーカス・ミラーを起用しています。(他にも曲によって起用してるけど。)ややゲートのかかった太目のドラムサウンドに、筋肉質なマーカスのチョッパーが絡むという、いかにもあの音を軸に、アレサが菩薩ボイスで歌うんでやんすが、ソウルの女王と呼ばれていたアトランティックレーベル時代のようなシャウトありありのゴリゴリのソウル節はこのアルバムでは聞けやしません。が、オサレなN.Y.風サウンドでもアレサが歌うと、結局はアレサ節。菩薩のパワー前回でやんす。おかぁちゃーん、って気持ち。味噌汁の歌@センマサオってな具合か。
アトランティック後期で伸び悩んで、アリスタレーベルに移籍して以来の初のR&Bチャート1位を記録したこのアルバム、どソウルからポップ向けにヴォーカルスタイルが変わりつつある頃で、おまけにルーサーがバックコーラスで盛り上げちゃったりで。確かに泥臭さが抜けた反面、上品でメロウで、旋律が耳に心地よくなりやしたな。そのほかにも、George Duke ピアノで参加してたりFour Topsと共演したり。恒例のカバーはIsley Brothers。二枚前作になるアルバムの「What a fool believes」がえらくカッコいくて好きだったもんで、カバー的にはそっちに軍配が。ドラマーには角松敏生のフェイバリットってことで有名なヨギ・ホートンが参加。で、ベースがマーカスでしょ。そらもう、一時代を築いた音だってば。で、ルーサーがプロデュース。しびれます。(ヨギはなぜか90年代に投身自殺します。残念。合掌。)
ブルースブラザーズでおかぁちゃん役を演じつつの「Respect」とか、古くは「Baby Baby Baby」あたりがあたくしのフェイバリットなもんで、パワー足りないかな、って気も正直、しやす。が、逆に聴くときにエネルギーを必要としない。アトランティック時代の曲はどれも、「ながら」では聴けないのでやんすが(お父ちゃんは有名な牧師だったそうな。アメリカ版、辻説法ってところか。)このアルバムなら、とりあえず車を運転しながらでも意識が音楽に飛んでったりしないので安心。
それにしても、曲の最後で「ハレルヤ~」って言うのがこんなにハマる人もいないよ。菩薩だねぇ。菩薩。
~ 前回までのあらすじ(声: 大滝秀治) ~
真の漢(オトーコ)を目指して、愛車ブルーバードで一路川崎港を目指した友人Mとあたくし。その行く手を阻む、血に飢えたピラニア、前人未到の吸血コウモリの住む洞窟、巨大セアカゴケグモ、順天堂大学体育学部卒の熱血体育教師たち。数々の難所を肉体と拳で潜り抜け、川崎港まであと数メートルに迫った一行に立ち塞がったのは、一見どう猛そうな野良犬だった...友人Mは?!あたくしは?! 俺とお前。お前と俺の、二人だけの漢(オトーコ)の冒険はいかに。
ええと、多少の誇張はございましたが、前回のあらすじってことで。
ぺたぺたドリフ靴の友人Mを追い詰めていたためか、犬と友人Mに数メートルの余裕を残してまずはあたくしが愛車ブルーバードに乗り込む。ブルーバード。幸せの青い鳥。Mよ、お前がチルチルなら、あたくしはミチルだ。なんてことは考える余裕も無い。青い顔して友人Mがブルーバードに近付いていた。犬は数メートル後方。これでもか、ってくらいの吼え声。
ハードボイルド小説ならここであたくしがエンジンをかけ、タイヤのスキッド音よろしく後輪を滑らせながら車を停車。バクっと助手席を開けて「乗れ」と一言。慌てている時こそ1オクターブ下のバリトンでクールに決めなければ。真の漢(オトーコ)は、裕次郎なら、きっとそうする。そうだ、エンジンだ。イグニッションに手をかけたあたくし。その刹那、友人Mとあたくしの視線がぶつかった。
(以下、スローモーションで)
友人M: 「お前がやるべきは、そんなことじゃないっ。ないっ。ないっ...。」
あたくし:「えぇぇ...でもっ。でもっ。でもっ...。」
友人M: 「やってくれ。あれをっ。あれをっ。あれをっ...。漢(オトーコ)ならっ。ならっ。ならっ...。。」
あたくし:「いいんでやんすねっ。やんすねっ。やんすねっ...。」
以心伝心。テレパシー。念力。サイコメトリック。よくはわからんものの、友人Mがそう、あたくしに訴えた(ように思えた)。助手席ドアに手を伸ばした友人M。もう、あたくしは迷いはしない。安堵の表情へと変わっていく友人M。友人Mの目を見つめた。ぶつかる視線。伸びるあたくしの右手。ロックに触れた。押下した。ささやかな機械の抵抗。真の漢(オトーコ)とは...あたくしは力を強めた。
カチリ。ロックされた助手席ドア。
「これで良かったんだ」声の代わりの、あたくしの笑み。
その瞬間、友人Mの顔の全ての肉と言う肉が、下方へと下がったのをあたくしは確認したのです。
「え”-。」ガチャガチャガチャ。3回ほど、ドアをがちゃがちゃした友人M。迫り来る犬の吼え声と引き摺る鎖の音がこだまする川崎港。再び全力の逃走を続ける友人M。ルームミラーに見えるのは、真の漢(オトーコ)となった友人Mの後姿と肉薄する犬(鎖も)。走っていく。どこまでも...。

2本目のタバコに火をつけた頃に聞こえてきたのは、あのジャラジャラという音。ルームミラーには、あの黒い犬が。友人Mの姿は見えません。黒い犬はあたくしをチラリとも見ず、何事も無かったかのように通り過ぎていきやす。
2本目のタバコが指を焼くほどに短くなった頃、ペタペタ音が聞こえてくる。
「無事だったか」
呟くあたくしのバリトンに、汽笛が混ざる。ココロはGパン刑事か、大藪かってとこ。生まれ変わっても、漢(オトーコ)になるぜ、あたくしは。
友人M: 「あのなぁぁぁぁぁ」
あたくし:「まぁまぁ。よかったじゃん。無事で。」
友人M: 「あの犬はなぁ、あの犬はなぁ、あっちのあっちの先の方の先の方まで
追いかけてきてなぁ...」
あたくし:「これ、どこいっても女の子にウケるよ。この話。よかったじゃん。もてもてじゃん。」
友人M: 「おまえなぁぁ。」
罰は行きつけのラーメン屋で、ネギチャーシュー麺とギョーザってところで落ち着いたあたくしたち。北方先生が「絶対悪」とする裏切りでやんすが、今だに飲むと笑える話ってことで、15年来の友情の金字塔となっておりやす(あたくしがそう思ってるだけかもしれないが)。
こうして青年たちは漢(オトーコ)になっていった、というほろ苦い青春物語でやんした。「Stand By Me」みたいな話だな。うん。
で、漢(オトーコ)同士ってことで、オススメの一枚。(本題までが長かったな...)

From A to One / Daryl Hall and John Oates
本当はこの手のベスト版を紹介するってのが、あたくしは好かない。言い訳さしてもらうと、新曲2曲を追加して、アーティスト本人が制作に携わったっていうベスト版なんで、いわゆるレーベルが適当に出す「Best of ホニャララ」とかとは違うってことで。
まぁ、全米最強のデュオとか、ブルー・アイド・ソウルのNo.1だと言われてた80年代が彼らの一番良い時で、今は満足なレーベル契約もないという状態だとか。時々、日本に出稼ぎにいらっしゃいますが。70年代のソウル色の最も強い頃から80年代中盤のビルボード向け楽曲が増える頃までのベスト版ていう感覚でやんす。
* ちなみに、80年代後半あたり?からか、このお二人は活動が別々になったりする時期があって。Daryl Hall のソロアルバムがプチ売れだったりしたもんで、その影響だと思ってたら、どうも違うらしい。この二人、実はカップルで、一時期は別れてたとかなんだとか。もちろん、未確認情報でやんすが、これ聞いた時のショックはでかかった。あたくしのアイドルだっただけに。
最近ではサイバーショットのCFでかかってる81年の「Private Eyes」が一番馴染みの曲でしょうか。Piano Songsっていうピアノがきれいな曲ばかりのオムニバスにも入ってますが、この曲はピアノもさることながら、G.E.スミスのギターでしょう。カッコいいのは。Daryl Hall and John Oates の黄金期を支えたバックバンドって、その他には60年代モノと思われるプレシジョンベースで極太かつ軽快なビートを刻んでたベースのトム“T-ボーン”ウォークがいて、ブライアン・アダムスでも叩いてたDr.のミッキー・カーリィがいて。この黄金のメンバーが本当に良い音出してました。スタジオのセッションミュージシャンばかりなんでやんすが、なぜかこう、寄せ集め的でない、バンドのサウンドってカンジで。このG.E.スミスがギブソンのレスポールをメインで使ってて、伸びやかで艶のあるギターを弾くんですね。歌モノで、歌より目立つメロディ弾いちゃうとかもあって。
その最たる例が、このアルバムに入っている「Wait For Me」のライブバージョン。これはスタジオテイクはミディアムテンポの佳曲であるのに比べて、ややメロウな仕上がり。MTVでは当時、ライブテイクをPVとして流すのが流行ってたんでやんすが、「Method Of Modern Love」とこの「Wait For Me」がよくかかってましたな。「Method Of Modern Love」に至っちゃ、馬鹿売れアルバムの「Big Bam Boom」に入っているスタジオテイクがオモチャみたいな曲であるのに対し、えらくカッコいいロックチューンになっててたまげます。これ、残念ながらどのアルバムにもテイクが残ってないんだよな。ギターのメロディラインがキレイなあまり、メインで歌ってるDaryl Hallがどんどんエキサイトしていくんだよね。ライブの呼吸というか、煽られちゃうような。「おらおら」って良いメロを惹かれると、ボーカルは負けずに頑張るみたいな相乗効果。サンバーストのレスポールとフェンダーのツインリヴァーブてなアンプが出す自然でふくよかなひずみの音が、アイドルっぽいDaryl Hallの歌い方になぜか合ってる。「Wait For Me」のために買っても惜しくないです。このアルバム。
ちなみにあたくし、このアルバムは図書館でテープで借りてダビングして以来、毎日の登下校の定番アルバムでやんした。なにしろ、中学校までの道のりにあるドブ川の臭さも忘れたほどのハマりぶり。学校について「おい、さっき水死体が上がってたぞ。ドブ川に。酔っ払いが落ちたんだってよ。」と言われても、なんのことだか気づいてもいなかったあたくし。まだ買えもしないギターを弾いている気持ちで15分の登校時間を楽しんでおりやした。お年玉で購入した青いウォークマンが、朝のお供ってカンジで。
ヤクザと土建屋が区会議員になって、一生懸命川ざらいしてくれたおかげで今ではちょっときれいになったこのドブ川。ありがとう、ダイゴ安之助。洗濯物干しても臭くないよ。あたくしの多感な思春期は、メタンガスの臭いと共に。
なんだか、北方謙三チックなタイトルをいくつもくっつけてみたのだ。
マセラッティなるイタ車が欲しいあまり、随分昔にキタカタ先生の「傷だらけのマセラティ」なる小説を読んだことがあって、そりゃもう、汗臭くて脂臭くてってな具合のキタカタ先生の漢(おとこ)節炸裂なのだった。(わかりにくいから、以降は「おとこ」と書かずに「オトーコ」と書くことにしよう。その方がイタリアンな感じがするしな。)いやー。日本中がこんなんばっかりだったらむさくるしいだろうな、って漢(オトーコ)と、まるでクラブ(踊る方じゃぁない)のお姐さんみたいな女が登場。(まぁ、毎度のパターンでやんすが。)友達を死に追いやったその筋の方々を殺めて、修理工場にあるマセラティ・ビトゥルボに乗って命がけの逃避行、ってな話でやんす。追いかけてくる警察官もまた「漢(オトーコ)」。あたくしの知る限り、オマワリサンってのは有無を言わさぬ強引さと特権意識でもって、世の中との隔絶感を癒して止まないって人たちなもんで、うっそでぇ、と思っちまうんです。いやー。デカは怖い。アルミ製だからって灰皿でぶつし。親子丼御馳走してくれたのかと思いきや、帰りがけに代金とりやがるし。大滝秀治みたいなデカはいないな。
エンディングの「私だけの十字架」でホロリとくるんだよな。「じゃかじゃん!」ってフラメンコギターの音で始まるあれ(Gmだったかな?)歌っていたのは、クロードチアリではなく、チリアーノ。よく間違う人がいますが、イタリア人で音楽の先生だとかなんとか。なまった日本語の歌が夕陽の東京湾をバックに...70年代の匂いプンプンでやんしたな。
あたくしが漢(オトーコ)だった記憶。それは大学2年の時、高校来の友人Mとドライブに行ったあの日。何でもいいから走りたい免許取立てのあたくし達は、「裕次郎になりに行こう」という発案で、一路港へ。考えてみると、貨物も停泊するような港なんて、車でもないと確かに行けない/行かない。家からもうシャツの襟立てて「ブランデーグラス」なんか歌っちまう大学生。粋だ。川崎港近くの運河地帯へ愛車ブルーバードで到着すると、なんとも雰囲気ありありな倉庫を発見。友人のポラロイドで「ようよう。裕次郎ショット撮ろうぜ。」てな具合で車を降り、倉庫の奥へと入って行ったんであります。
なんだか、ぺったぺった音が聞こえるのはあたくしの友人Mの靴のせい。ドリフ靴なんか履いてきやがって(別名カンフーシューズ)、そんなもんで裕次郎気取れるかっての、なんて嘯きつつ進むと、ちょっと見、獰猛な犬が一匹、あたくし達に吼えてたててきやがるわけです。ジャラジャラと鎖をぶら下げながら。
「飼い犬になるなよ。野良犬になれ。」なんて裕次郎を気取って笑ってたあたくし達。気づくと、犬がうなりながら近づいてくるわけです。長い鎖だなー、なんて言ってると、友人が一言「あ!A、ア、あれ見て、アレ!Are!」鎖ジャラジャラ引き摺って、んー、あ、先っぽが無いじゃん!繋がってないじゃん!野良犬なんじゃん!
途端に犬が何倍にも大きく見えてくるのは心の弱さとでも申しやしょう。とりあえず回れ右で一目散に車へ。あたくしの逃げ足と友人のカケッコじゃぁ、年季ってヤツが違います。ぺたぺた音を数メートル背後に聞きながら、車へ。1等賞はあたくし。取り敢えず助手席に乗り込みやしたが、どうにも友人と追っ手の犬の距離が短い。涎を垂らしてうなりながら走ってくるわけです。ポラロイド片手にペタペタ走る友人M。このままじゃ、友人Mがドアを開けた途端に犬も入ってきて共倒れだ...。どうするあたくし、いや、裕次郎!こんな時に真の漢(オトーコ)とはどうあるべきなのか!
次回に続く。
(アルバム一枚も紹介してねぇや。)
じゃぁ、これ。豪華、カラオケつき。練習して漢(オトーコ)になろう。

「ブランデーグラス[MAXI] /石原裕次郎」
もう、コメントなんてございませんや。デカ長。
日本中の漢(オトーコ)がブラインドに指突っ込んで外見るの、デカ長のせいですから。
怪談っしょ。
この手の話、実は結構苦手。でも、ソレらしきものに出くわしたことがあるんだ。あたくしは。オネェチャンがお酒つくってくれる類のお店に行くと、50%の確立(調査済み)で「あー。あたし、みたことあるよー。」というコメントを頂戴するのだが、大抵はどっかで聞いたような話だったりする。ま、会話が続きゃ良いわけで、「そうかそうか。今度そんなの出てきたら、ボクがしっかりと君を...(以下自粛)」
生きてる人間の方が怖ぇんだよ、が口癖のあたくしですが、実際にソレらしきものにお会いした際は、何もできやしなかったな。そう。あれは14歳の夏。
合宿といやぁ「えー、また山中湖かよ。」って位、何度も言ったことのある山中湖でのお話。20人くらいが布団引いて眠れる大部屋。しかも、ホコリくさいったらない。副部長の江川(♂)が、ホコリのせいで持病の喘息が出ちまって、担いで医務室(って言っても、先生どもが酒飲んでクダ巻いてる別棟)に連れてったのを思い出す。ちなみにその後の江川は、ゲイの噂(後にカミングアウトなすった)のある先生に「これが効くんすよ!」と言われて、ビックスヴェポラップを乳(胸か?)に塗られてたな。もちろん、パジャマを脱いで。
「あ、ちょっと待ってよ」「いいからいいから、ラクにして」
睦まじい会話を後に、あたくしは部屋に戻る。(後に裏切り者と呼ばれる)夜中の2時を過ぎた大部屋は、さすがに練習の疲れからか、男どもの寝息と鼾のフィルハーモニーだ。とりあえず、隅っこに敷いた布団にもぐりこむ。睡魔に身を任せてどのくらいたった頃か、体にとんでもない重みを感じたのだ。
江川か?無事だったのか?
なんて思いながら体を起こそうにも起き上がらない。ははーん。これが金縛りってやつ?なぁんて思うまでに随分時間がかかった気がする。うっすら目を開ける。
「を。いるよいるよ。いやー。これで話のネタが。」
なんて思う余裕はない.胸に大きな衝撃を感じて苦しくなってくる。それも、数秒に一度、定期的に。「なんだ?なんだ?」必死に目を開ける。何かいる。男か?...あれ?裸...。え?え?
なんとなく、水泳帽を被った、黒っぽい食い込み水着の大男が、あたくしに馬乗りになっている。動こうにも動けない。しかも、その大男、あたくしに心臓マッサージしてるよ。どーん。どーん。まさに、そんな感じ。顔はなんていうか、こう、ボールペンで間違えちまったところをグシャグシャって書いた感じで、なにもわからない。あー。こまった。て言うか、マジで苦しい。あー。押すなって。あー......。
で目が覚めると、翌朝。隣の江川はもう目覚めているらしい。布団は寝乱れていて、オカマ教師との惨状の余波を感じさせる。きっと悪い夢見たに違いないとあたくしは考えた。
朝飯の途中、恨めしそうな江川が入ってくる。
「おんまぇぇぇ。覚えてろよ。」
「何をだよ。俺が連れてってやったんじゃねぇか。恩人じゃねぇかよ。ベポちゃんよぉ。」
「っざけんなよ。お前、俺、さっきまで隣におっさんのオカマがいたんだぞ。時々、目を覚ましちゃぁ、乳をまさぐってきやがってよ。」
「は?お前、部屋戻ってたんじゃねぇの?」
「つい今さっきまで、つかまってたんだよ!誰のせいだと思ってんだよ...」
「へ?」
で、この話、オチがないんでやんす。実話なんだもん。
で、本題。
当代一の恐怖系アーティストと言えば、この方。

Careless / Stephen Bishop
なんで恐怖系?ってな話になりやすが、あたくしが学生の頃に見た恐怖特集で、宜保愛子(死んじゃったねぇ)が、わざわざN.Y.まで渡米して交霊しちゃったんだよね。なんでもビショップさん家は複雑な事情があったとかで、ガキの時分に苦労なすったとか。その辺、色々と当てまくるわけですよ。ずばずばと。で、作曲用のピアノが置いてある部屋に先祖がいるとかさ。で、ビショップさんは偉いびっくりしたり、霊視の結果を聞いて泣いたりする訳。新聞のテレビ欄にはアメリカの大物アーティスト宅で霊視、みたいに書いてあって、あたくしは「マイケルかなー。もしかしてシナトラと交霊したりとか??」なんて期待して見てたら、よく知りもしないビショップさんなるオッサンが登場。何ソレ?ってな具合。

で、気になって買ったわけですよ。アルバムを。
これが、良い意味で期待を裏切るって言うか。アート・ガーファンクルにあたくしのフェイバリットのラリー・カールトンにエリック・クラプトンに、と参加アーティストもすごい面々。デビュー作で、ですよ。
肝心のサウンドはというと、いわゆる王道のAORをイメージしてると「あれれ?」てなサウンド。オサレで大人向けのってな感じではなく、もうちっと土臭い。その後、ミスターロマンティックなんてあだ名をつけられてバラード屋になっていくんだけれど、このアルバムはどっちか言うと、おナルな大学生がこつこつ作った曲を集めました、的な、もっと賢いカンジがする。で、この頃のクリストファー・クロスほどは透明感があるわけでなく、ボズ・スキャッグスみたいにクドめの色気強調系でもなく、ケニー・ロギンス&マイケル・マクドナルド系列程の熱さもない。もっと内省的で、繊細。夜聞くサウンドと言うよりは夕暮れ時、季節は秋、ってなカンジの。都会的な音と評されるようになるのは、このアルバム以降「BISH」とか「トッツィー(サントラね)」とか、ロマンチック系に突き進んでからのような...。(トッツィーもオカマの映画だよな。そういや。)
アルバムの中では、1曲目の「On and On」が売れたんですが、その次の曲の「Never Lettin' Go」、タイトル曲の3曲目「Careless」までの一連の流れを楽しみたいところかな。AORって、酒がすすみそうなイメージあるけど、このアルバムはそうでもないなぁ。ヘッドホンで聞きながら人ごみを離れて歩く、ってなシチュエーションで。ほんっとに、気持ち、安らぎます。
もう有名な話でやんすが、アチラの国でAORと言っちゃダメで、アダルト・コンテンポラリーと言うのだそうな。ACね。電源かよ。
突然だけど、ブログをはじめたよ。
今まで、社内イントラで実験的にやってたんだけど、記事も溜まったしってんで。
不定期連載。よろしくお願いします。
で、毛の話。はじまりはじまり。
夜中にぼーっとテレビを見ていると、必ずどこかのチャンネルで放送してやがるのがTVショッピング。こいつには毎度クラクラさせられちまうんだ。あたくしは。
お腹に電気走らせて痩せちゃうってなグッズとか、ボンネットに火をつけても一瞬で汚れが取れちゃうクリーナーとかは序の口。高枝切りバサミなんか、ハサミの部分がアタッチメントになってて、取り外してノコギリつけたり出来るんだぜ。ありゃぁ絶対ライダーマン(*1)の右腕を見て思いついたね。でも、長い棒の先っぽにノコギリつけたって、切り難いんじゃねぇかな。まぁ、そこはそこ。テクでカヴァーだ。
で、大体一度はお目にかかるのが、毛関係。男もムダ毛を気にしないといけないこの御時世、脱毛関係がなかなか売れてるんだそうな。毛なんかそのままにしとけよ!そんなんじゃ「漢」にはなれねぇぇぇんだぜ、なんて言ってると「あんた、キタカタケンゾウのファン?」と冷笑を頂戴する破目になる。生き難い世の中だよ。「漢」はいないんだよ。ボギー。あんたの時代は良かったよ。
そもそも、無駄な毛なんかねぇんだ、っていう視点に立ってみる。生物学的には当たり前の話なのに、この御時世ではそんなことを言い出したとたんにコペルニクス的転換をしちまった大馬鹿野郎と思われがちだ。神奈川クリニックに行く前にもっと診といてもらった方がいいとこ、あんじゃねぇのかぁ?とか言われちまうのだ。
ここであたくしは提案したい。ムダ毛と言わない。「必要毛」と呼ぶ。
イタリア人の胸毛がセクシーなのに、日本人の胸毛が「え~」なんて言われちまうのは、イタリア人男性が伊達で、胸毛があるもんだ、ってな先入観があるんだよ。日本人はツルンとしてなきゃいけねぇなんてのがオカシイ。奴らにゃ必要な毛なんだったら、日本人にだって必要なんだよ。必要毛なんだよ!人類は皆兄弟なんだよ。そんなピースなヴァイブスが大事なんだよ。
なんか途端にスネとか可愛くなってきたろ?ん?ん?足の親指の爪の下あたりの毛なんか、健気じゃねぇか。いっつも靴下に隠されてんのに、懸命に生えてんだぜ。ホロリとさせるよな。
で、必要毛なアーティストを御紹介して、今日はピースフルに締めようかと思うよ。あたくしは。

「QueenⅡ / Queen」
胸毛と言ったら、フレディだよ。大学の時にQueenのコピーバンドを学祭でやったけども、当日にシールド(ギターとアンプ繋ぐケーブルね)忘れても、付け胸毛だけは忘れなかったよ。そのくらい、胸(むな)なヤツだよ。フレディは。
Queenと言うと、70年代はどうしてもボヘミアン・ラプソディの入ってる4枚目のアルバム『A NIGHT AT THE OPERA』とか、「WE WILL ROCK YOU」、「WE ARE THE CHAMPIONS」の入ってる『NEWS OF THE WORLD』あたりが有名。アメリカ市場意識びりびりの80年代は「THE WORKS」とか(プロモーションビデオでフレディがオカマになったりして、おかしくなり始めた頃)。
ここであえてQueenⅡなのは、アマチュア時代の勢いが「荒削り」なんてんで好評価されるファーストに比べてどうしても小ぢんまり落ち着いたりしてコケがちな2枚目なのにもかかわらず、スケールが格段に大きくなったばかりか、オペラ等をふんだんに取り入れた後のアルバム・オリエンテッドなスタイルをしっかり築いちゃってるってところ。ブライアン・メイのひとり四重奏なんてのは、デジタルレコーディングが当たり前の今なら「ふふん」と思われる(そもそも、エフェクターが勝手にハーモニーを作成してくれたり)かも知れないが、テープで8~16トラックなんて機材がプロユースだった頃に、どうやってこんなことが出来ちまうんだ?と思わせる。トラック数、足んねぇだろ、おい、と心配になるわけだ。あたくしは。
自宅の暖炉の木でお父ちゃんとズィコズィコ切り出して作ったというブライアン・メイのギターも、この段階で完成形と言えるサウンドを出してる。なんたって、真似できないんだよな、この音が。ピックの代わりにコインで弾くからか、独特のタッチでさ。AC-30から出てくるふくよかな(篭った??)中音のサウンド。元パーソンズの本田毅も長年かけてこの音を研究したとか。
そのブライアン・メイと永遠の半ズボンベーシスト、ロジャーテイラーがA面(LPだからね)の作曲を担当。これがホワイトサイド。
で、B面のブラックサイドがフレディ担当。聞いてて面白いくらいに、曲調が違う。CDだと6曲目の「オウガ・バトル/ OGRE BATTLE 」が、いきなり派手なテープ逆回転。ライブでは実際に逆回転の音を再現するんだよ。生演奏で。(これは再現が大変だったなー。あたくしがバンドでやった時は。)そこから9曲目までノンストップの組曲状態なんだけど、まぁ曲調がころっころ変わるもんだから、聴いてるあたくしまで緊張してくる。そんなの、プロモーションビデオ作ることが前提の今じゃ、なかなかできないよ。ラジオがプロモーションの手段としてはメインストリームだった頃に、こんなにラジオでかけにくい曲を作っちまうのかね。DJもどこで切っていいかわかんないよ。どこで切っても、ダメなんだもの。この作品。
今聴いても斬新かつ新鮮。大作ってのは、何も一枚のアルバムに何曲も詰め込むことじゃぁないよ、って教科書のような一枚だな。作品としてのスケール。これだ。これ。
それにしても、アナログで音を重ねると、目の前に音が飛び出てくるなー。やっぱし卓はNEVEかAPIかな。暑苦しいけど、アドレナリン爆発の一枚。
(*1)ライダーマン: 本名は結城丈二。「仮面ライダーV3」の第43話より登場した科学者系ライダー。昭和25年11月3日生まれだ。貧しい少年時代を過ごすものの、優秀だった彼はやがて悪の秘密結社デストロンに拉致られ、天才科学者として生まれ変わる。ここまではアメリカンドリームよろしくの美談(?)なのだが、彼を妬むヨロイ元帥によって裏切り者に。処刑されそうになるった際、酸のプールで右腕を失うのだった。彼を助け出したライダー仲間たちの手により、失った右腕の改造手術を受けた後にライダーマンを名乗り、ヨロイ元帥への復讐を誓った。闘えライダーマン!負けるなライダーマン!でもちょっぴりよわっちぃんだ。
(ライダーマンはカルト的な人気のキャラで、玩具製造をめぐる裁判まで起こったのだった。)